約束通り 哲学の話を

いきなり本題に入ります!たぶん面白くないです(笑) 読まなくていいです(笑)

 

私なりに哲学を一言で言うなら、「深読み」だと思います。まあ、よく言われていることかな。当たり前を問いただすというか、定着したものを一旦崩すというか、とにかく私は変化が好きな人間なものですから、失敗が多くなったとしても常に何か変わっていかないと、さび付いていく気がするんですね。まあよく宝石類に喩えられる、思い出とかみたいなさびないものは変わらず残せばいいと思ってるんですがね。うん。

 

まあとにかく、ふと聞こえた声やふと見えた景色に立ち止まって、それに意味を与える。これが好きな作業かなあ。その作業に自分が酔っているんじゃないか、みたいなメタ認知ももちろんしますけどね。

 

答えがないことには、自分の答えを持っておくことが大切だと思うんですね。自分が知らないことを知っている他人に教えられて、それを信じ込んでしまうよりは、反抗できた方が自分がいるかなと。

 

独自性を求めるためにも、考え事って必要なんじゃないですかねえ。

 

たぶんこれを読んでくれる人が、すべて「へええ。そうなのか。」ってなったら、哲学してないと思います。これを読んで、「ん~、これはちがうのでは?」となって、「自分は~だ」みたいに述べられる人の方が、私としても話がいがあるというもので、私の周りで長い付き合いになっている人はそういう人が多いです。

 

けれど、哲学にはもう一つ側面があります。それは変わり続けるということ、そしてその変え方に関係するのは自分の感受性だけ、年齢や環境で変えられていく感受性、内観が世界の見え方を変えていきます。

 

まあ、つらつら述べましたが、こんなに偉そうに言っておきながら、悩むことばかりです。風船の表面積のように、考えを膨らませば膨らませるほど、わからないことは増えていきます。このことに関しても無限に考えられると思います。

 

そして、このノリででかい口を叩いてみると、こうして感受性が変わって、今の悩みが解決されるのを期待することが、自分の生への欲なのかなと、生きる意味なのかと、少し思います。生きていく意味を考えることは誰しもあると思いますが、たいてい誰にもわからない、神のみぞ知る、ゴッドノウズ。って感じで、そこにも私は自分の答えが欲しかったので、生きていく理由は、未来の自分がそれを見つけてくれるという期待だと、なんだか概念を概念で説明したみたいなマイ解答を用意してます(笑)

 

ふう、まあこれが私の哲学概論です。これからは具体的な話をしていきますねえ~

 

いやあ、なんと理解しづらい記事を書いたのでしょうか、、(@_@)