哲学 転じて ジブリへ
かなり更新日が空いてしまった。。。
というのも最近忙しかったんですねえ、何かと。
そういえば昨日は母の日でしたね。。母とは会わずに終わってしまいました。。。
ショック・・・まあ不器用な性格を言い分けにこれまでも特に何かしてあげたとかいう経験もないんですね、結婚式で全部の礼をするので許してくださいって感じですね(笑)
さて、そろそろ哲学のことでも書きます。
哲学って、きっと高校3年生までは小難しい何かだと、特に気にもかけませんでした
興味を持つ?というよりは自分が哲学をしていた、と自覚したのは、確か高校3年生の夏前とかだった気がします。
まあこんなことを言うと本末転倒なのですが、哲学ってホントに広義で考え事の意味だと思うんです。
かっこよくいえば、人生の中で延々と続く禅問答、ってところでしょうか。
まあなんにしても、世間の人の芸能人に対する目とか、自分のまわりの人たちの言動から、いちいち何かを感じるようになってたように思います。
でもまあ、役立つことって言えば、ちょっと大人になれるんじゃないかなって思うんですよね。それを考えてる時点で子どもでは!?とも思いますが、まあモラトリアム独特のもの?とでも捉えておきます(笑)
まあでもその、1つ考えるにしてもいろんな立場がありますし、それをしらみつぶしに考えていくと、どれだけ文化の違う人同士の共存が難しいかが見えて来ると思います。
あとは、素敵な言葉に出会える気がします。まあ決まって、例をあげますが、昔聴いていた曲や昔見ていた映画のワンフレーズが大人になってから強烈に響いてくることってありますよね。まさにあれです。気にしてないと気づけない素敵さに気づくって意味です。現に子どものことは素通りしたわけですからね、うん。
最近、強く記憶に残ったのは、おなじみ天空のラピュタに出てくるシータのセリフ「どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、人は土から離れては生きられないのよ」ですね。持続可能な開発とかなんとか世界ではいろいろ問題にしていることを学んだからこそ、わかるんだなあと。
無理やり言葉にするなら、「意味を知り感じる」というダブル動詞表現になりますかねえ。
ちなみにダブル動詞表現は割と好きです。実際に使われてるものでいけば、「歩み寄る」とか「駆け抜ける」とか、なんかいい響きだなーっておもいます。閑話休題。
別の見方をすれば、シータというキャラクターを通して、宮崎駿さんは私に現実世界の問題を改めて自覚させた、ことになります。それがあの人の才能のずば抜け方を助長しているんでしょうねえ。
なんかすごく真面目な話になってしまいましたが、宮崎駿さんと久石譲さんは神コンビだと思ってます。音楽と映画は切っても切れない関係にありますから。
ううん、哲学の話が置き去りになったので、次の記事で詳しく書きます(笑)